『三国演義』によると、建安三年(一九八)、曹操が張繡を討伐するため出兵したのが、おりしも小麦が実った旧暦四月です。曹操は、小麦畑をやたらに荒らすものは処刑するとの命令をくだしました。ところが曹操が乗っていた馬が畑から飛びたった鳥に驚き、小麦を散々踏んでしまいました。曹操は自分の首を切るべきだと言い張ったのですが、将軍たちが、大軍を率いて出征している最中に統帥者が自らの首を切るのは作戦に不利だと必死...
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『三国演義』によると、建安三年(一九八)、曹操が張繡を討伐するため出兵したのが、おりしも小麦が実った旧暦四月です。曹操は、小麦畑をやたらに荒らすものは処刑するとの命令をくだしました。ところが曹操が乗っていた馬が畑から飛びたった鳥に驚き、小麦を散々踏んでしまいました。曹操は自分の首を切るべきだと言い張ったのですが、将軍たちが、大軍を率いて出征している最中に統帥者が自らの首を切るのは作戦に不利だと必死...