六三〇年(舒明天皇二年)秋、犬上御田鍬、薬師恵日が率いる第一回遣唐使船は、三カ月の艱難辛苦のすえ、やっと中国大陸に上陸することができた。この連載の第二回で、筆者は第一回遣唐使は登州に上陸したと書き、前回は又、煙台説と萊州説があるといったが、遣唐使の第一陣はいったいどこから大陸に入ったのだろうか。煙台説と萊州説古代に芝罘(チーフー)と呼ばれた煙台と萊州は、唐の時代にはいずれも登州府の管轄下にあった。...
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六三〇年(舒明天皇二年)秋、犬上御田鍬、薬師恵日が率いる第一回遣唐使船は、三カ月の艱難辛苦のすえ、やっと中国大陸に上陸することができた。この連載の第二回で、筆者は第一回遣唐使は登州に上陸したと書き、前回は又、煙台説と萊州説があるといったが、遣唐使の第一陣はいったいどこから大陸に入ったのだろうか。煙台説と萊州説古代に芝罘(チーフー)と呼ばれた煙台と萊州は、唐の時代にはいずれも登州府の管轄下にあった。...