唐の太宗貞観四年(六三〇年、舒明天皇二年)十一月のある日、みなれぬ木造の帆船二隻が、晩秋のそよ風の中を山東半島の萊州港に接岸した。先頭に立って船を下りてきた日本人は犬上御田鍬(犬上三田耜)で、その後に薬師恵日らが従った。この一行が、すなわち中日友好交流史に輝く第一回遣唐使節団である。船には使節のほか留学生や僧侶二百人が同乗していた。萊州市は煙台市の西一九〇キロの所にあり、前に触れた竜口、蓬萊、栄成...
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唐の太宗貞観四年(六三〇年、舒明天皇二年)十一月のある日、みなれぬ木造の帆船二隻が、晩秋のそよ風の中を山東半島の萊州港に接岸した。先頭に立って船を下りてきた日本人は犬上御田鍬(犬上三田耜)で、その後に薬師恵日らが従った。この一行が、すなわち中日友好交流史に輝く第一回遣唐使節団である。船には使節のほか留学生や僧侶二百人が同乗していた。萊州市は煙台市の西一九〇キロの所にあり、前に触れた竜口、蓬萊、栄成...