阿育王寺は唐代以来ずっと中日両国の仏教交流の中心のような存在だった。鑑真和上を迎えるために日本から派遣されてきた栄叡と普照が同寺に滞在したことは前回に話した通りだが、宋の時代になると、さらに多くの日本の僧たちがこの寺を訪れている。重源と同じ時期に入宋した栄西をはじめ、心地覚心、無象清照、約翁徳倹、樵谷唯仙、桃渓徳悟などもこの寺と縁を結んでいる。なかでも特筆すべきは栄西である。彼は帰国したあと日本臨...
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阿育王寺は唐代以来ずっと中日両国の仏教交流の中心のような存在だった。鑑真和上を迎えるために日本から派遣されてきた栄叡と普照が同寺に滞在したことは前回に話した通りだが、宋の時代になると、さらに多くの日本の僧たちがこの寺を訪れている。重源と同じ時期に入宋した栄西をはじめ、心地覚心、無象清照、約翁徳倹、樵谷唯仙、桃渓徳悟などもこの寺と縁を結んでいる。なかでも特筆すべきは栄西である。彼は帰国したあと日本臨...