四川省北部の大巴(だいは)山のふもとにある広元(こうげん)市は、史上「利州」と呼ばれた所で、むかしから蜀に通じる道筋にあたり、戦略の要地だった。ここは蜀の国の興亡と切っても切れない関係をもっていた。だから蜀の歴史の特徴を一口に「蜀は葭萌(かぼう)に興り、綿竹(めんちく)に滅んだ」と表現する人もいる。葭萌は今の広元市昭化(しようか)県、綿竹は成都の北にある町だ。この春、わたしは宝成(ほうせい)線(宝...
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四川省北部の大巴(だいは)山のふもとにある広元(こうげん)市は、史上「利州」と呼ばれた所で、むかしから蜀に通じる道筋にあたり、戦略の要地だった。ここは蜀の国の興亡と切っても切れない関係をもっていた。だから蜀の歴史の特徴を一口に「蜀は葭萌(かぼう)に興り、綿竹(めんちく)に滅んだ」と表現する人もいる。葭萌は今の広元市昭化(しようか)県、綿竹は成都の北にある町だ。この春、わたしは宝成(ほうせい)線(宝...