巴東県を出て、約四十キロの梯帰(しき)県の谷を抜けると、そこは西陵峡の入り口、香漢口だ。西陵峡には昔から桟道がない。香漢口から船で約五キロ、新灘という小さな町に着いた。この町は梯帰県に属し、始めは青灘といっていた。後漢の永元十二年(紀元一〇〇)、ここで大きな山崩れが発生し、崩れ落ちた巨岩で長江に暗礁や浅瀬ができた。それから新灘というようになったという(灘〔タン,ほ早瀬の意)。この辺り一帯は地質が不...
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巴東県を出て、約四十キロの梯帰(しき)県の谷を抜けると、そこは西陵峡の入り口、香漢口だ。西陵峡には昔から桟道がない。香漢口から船で約五キロ、新灘という小さな町に着いた。この町は梯帰県に属し、始めは青灘といっていた。後漢の永元十二年(紀元一〇〇)、ここで大きな山崩れが発生し、崩れ落ちた巨岩で長江に暗礁や浅瀬ができた。それから新灘というようになったという(灘〔タン,ほ早瀬の意)。この辺り一帯は地質が不...