神女峰ふもとの青石鎮から、さらに西をめざす。桟道は平坦で幅も一·五メートル以上はある。「無奪」という橋のたもとに石碑があったが、下半分が地面にころがっていた。消えかけた字を読むと窪塘峡桟道にあったのと同じで、清の光緒年間(一八七五~一九〇八年)の物だった。三時間半歩いて十二時半に培石鎮に着いた。途中出会ったのはヤギの群れを追う四人づれの農民だけ。湖北省巴東県でヤギを買いつけて巫山県にもどる途中だっ...
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神女峰ふもとの青石鎮から、さらに西をめざす。桟道は平坦で幅も一·五メートル以上はある。「無奪」という橋のたもとに石碑があったが、下半分が地面にころがっていた。消えかけた字を読むと窪塘峡桟道にあったのと同じで、清の光緒年間(一八七五~一九〇八年)の物だった。三時間半歩いて十二時半に培石鎮に着いた。途中出会ったのはヤギの群れを追う四人づれの農民だけ。湖北省巴東県でヤギを買いつけて巫山県にもどる途中だっ...