紀元二〇〇年の官渡の決戦で、曹操は北方軍閥袁紹の主力を消滅させた。袁紹の二子袁熙と袁尚は逃げて烏桓の地に行った。烏桓というのは中国東北の老哈河と大凌河の流域に住む少数民族で、騎馬による戦いに長じ、つねに内地を脅かしていた。袁熙と袁尚は烏桓の首領蹋頓(タトン)と結んで、再起をはかるつもりだった。曹操は、このような袁氏の残存勢力を徹底的に一掃するため、二〇七年の春に、北征の軍を動かし、直接烏桓の根拠地...
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紀元二〇〇年の官渡の決戦で、曹操は北方軍閥袁紹の主力を消滅させた。袁紹の二子袁熙と袁尚は逃げて烏桓の地に行った。烏桓というのは中国東北の老哈河と大凌河の流域に住む少数民族で、騎馬による戦いに長じ、つねに内地を脅かしていた。袁熙と袁尚は烏桓の首領蹋頓(タトン)と結んで、再起をはかるつもりだった。曹操は、このような袁氏の残存勢力を徹底的に一掃するため、二〇七年の春に、北征の軍を動かし、直接烏桓の根拠地...