章草や今草、狂草を含む草書は、隷書から発展してきたものである。草書芸術の鑑賞は、名勝に遊ぶのにも似ており、労をいとわず、険しい山間や深い山中に踏み入ってはじめて奇観をその目で見ることができるのと同じで、草書芸術の奥深さを知ってはじめて、その高尚な芸術を理解できるようになるのである。右ページに掲げた二幅の草書は、沈鵬氏の近作だが、「遠眺富士山」の詩は、一九八七年に、氏が日本を訪問した時の作品。その年...
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章草や今草、狂草を含む草書は、隷書から発展してきたものである。草書芸術の鑑賞は、名勝に遊ぶのにも似ており、労をいとわず、険しい山間や深い山中に踏み入ってはじめて奇観をその目で見ることができるのと同じで、草書芸術の奥深さを知ってはじめて、その高尚な芸術を理解できるようになるのである。右ページに掲げた二幅の草書は、沈鵬氏の近作だが、「遠眺富士山」の詩は、一九八七年に、氏が日本を訪問した時の作品。その年...