写真の民家は総延長がほぼ一キロの長い建物、建坪五万平方メートル、部屋数千七百、もし教えられなかったらその住人が一つの家族だとはだれも思わないだろう。建物全体が先祖の名をとって張谷英大院と呼ばれているが、同時にそれは一つの行政区、張谷英村でもある。村の歴史は北京の故宮(一四〇六年創建)とほぼ同じ。創設者の張谷英は明の宣徳年間(一四二六~三五年)に、江西から、ここ湖南の岳陽に移住してきた。岳陽は洞庭湖...
Please login first!
写真の民家は総延長がほぼ一キロの長い建物、建坪五万平方メートル、部屋数千七百、もし教えられなかったらその住人が一つの家族だとはだれも思わないだろう。建物全体が先祖の名をとって張谷英大院と呼ばれているが、同時にそれは一つの行政区、張谷英村でもある。村の歴史は北京の故宮(一四〇六年創建)とほぼ同じ。創設者の張谷英は明の宣徳年間(一四二六~三五年)に、江西から、ここ湖南の岳陽に移住してきた。岳陽は洞庭湖...