三国遺跡の多い当陽三国志でおなじみの長坂坡(は)と当陽橋は、湖北省西部の当陽県内にある。私は襄樊(シヤンツァン)から列車で南へ一七六キロの当陽に行った。当陽は武当山の余脈荊(けい)山の南で、西北が丘陵、東南は平原がひらけて太陽の上る東の方を向いているところから当陽の名がある。当陽は古代の権国で、その後、戦国時代の七雄の一つ楚に属し、権県といった。秦の始皇帝が楚の都郢(えい)(湖北省江陵県の北)を占...
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三国遺跡の多い当陽三国志でおなじみの長坂坡(は)と当陽橋は、湖北省西部の当陽県内にある。私は襄樊(シヤンツァン)から列車で南へ一七六キロの当陽に行った。当陽は武当山の余脈荊(けい)山の南で、西北が丘陵、東南は平原がひらけて太陽の上る東の方を向いているところから当陽の名がある。当陽は古代の権国で、その後、戦国時代の七雄の一つ楚に属し、権県といった。秦の始皇帝が楚の都郢(えい)(湖北省江陵県の北)を占...