一九八六年八月のことだった。笹川記念保健協力財団会長·笹川良一氏と日中医学協会理事長石館守三氏が中国へ見えた。当時の衛生部部長崔月犁氏と笹川医学奨学金制度に調印するためである。この制度は、一九八七年から九六年までの十年間、年に百名ずつ計千名の中国の医療関係者を日本の各大学·研究機関が受け入れ、一年間の医学研修プログラムを実施するというものである。すでに二百五十名が研修を終えて帰国し、今、第六期生が...
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一九八六年八月のことだった。笹川記念保健協力財団会長·笹川良一氏と日中医学協会理事長石館守三氏が中国へ見えた。当時の衛生部部長崔月犁氏と笹川医学奨学金制度に調印するためである。この制度は、一九八七年から九六年までの十年間、年に百名ずつ計千名の中国の医療関係者を日本の各大学·研究機関が受け入れ、一年間の医学研修プログラムを実施するというものである。すでに二百五十名が研修を終えて帰国し、今、第六期生が...