孔子が死んだ翌年(前478)、魯の哀公が曲阜(山東省)の孔子の住居を廟とし、その霊をまつった。当時はわずか3間(柱と柱の間を1間(ま)と数える)しかなかったが、これが史上初の孔廟で、その地名をとって「闕里(けつり)孔廟」と呼ばれる。後世、孔子の地位は高まるばかりで、この廟も増築に増築を重ねることになる。永興元年(153)、後漢第10代皇帝の桓帝が勅命を下して廟を修理させ、孔子の子孫を守廟官に任じた...
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孔子が死んだ翌年(前478)、魯の哀公が曲阜(山東省)の孔子の住居を廟とし、その霊をまつった。当時はわずか3間(柱と柱の間を1間(ま)と数える)しかなかったが、これが史上初の孔廟で、その地名をとって「闕里(けつり)孔廟」と呼ばれる。後世、孔子の地位は高まるばかりで、この廟も増築に増築を重ねることになる。永興元年(153)、後漢第10代皇帝の桓帝が勅命を下して廟を修理させ、孔子の子孫を守廟官に任じた...