はじめて漢代の狼煙(のろし)台を見たのは、玉門関でだった。玉門関を出れば“塞外の地”とされ、唐詩には「春光 度(わた)らず 玉門関」とまで詠(よ)まれている。砂丘越しに現われた狼煙台は、二千年余の時を閲してなお、屹然とそそり立っていたのである。日中には狼煙を上げ、夜間には火を焚いて、敵情を知らしめた狼煙台。風雨にさらされて一層堅固になった土台のうえには、往時、見晴らしのための城楼が設けられていたに...
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はじめて漢代の狼煙(のろし)台を見たのは、玉門関でだった。玉門関を出れば“塞外の地”とされ、唐詩には「春光 度(わた)らず 玉門関」とまで詠(よ)まれている。砂丘越しに現われた狼煙台は、二千年余の時を閲してなお、屹然とそそり立っていたのである。日中には狼煙を上げ、夜間には火を焚いて、敵情を知らしめた狼煙台。風雨にさらされて一層堅固になった土台のうえには、往時、見晴らしのための城楼が設けられていたに...