北京の大胡同は3600、小胡同は数知れぬ、といわれる。それぞれの胡同にはそれぞれの歴史があり、感動的な伝説なども伝わっている。金代末、元代の初め、蒙古族は金と南宋を滅ぼし、現在の北京の地に大都の建設を始めた。まん中に通路を設けて、その両側に民家を建てる。この通路を蒙古語で「フォトン」というが、北京人は次第に「胡同(フートン)」と言いならわすようになった。元の大都が竣工した当時、胡同はわずか400筋...
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北京の大胡同は3600、小胡同は数知れぬ、といわれる。それぞれの胡同にはそれぞれの歴史があり、感動的な伝説なども伝わっている。金代末、元代の初め、蒙古族は金と南宋を滅ぼし、現在の北京の地に大都の建設を始めた。まん中に通路を設けて、その両側に民家を建てる。この通路を蒙古語で「フォトン」というが、北京人は次第に「胡同(フートン)」と言いならわすようになった。元の大都が竣工した当時、胡同はわずか400筋...