アスターナ古墳から、私たちはまたマイクロバスで、宿舎の吐魯番賓館にもどった。運転手の張さんは、高昌故城へ行ったときから、すでに天候を気にしていたが、アスターナ古墳では、しきりに、「××にならなければよいが……」とつぶやいていた。私にはその「××」が聞きとれなかったが、後(のち)、それが「土雨」であることがわかった。ベゼクリク千仏洞へ行ったとき、上空に見た燻(いぶ)し銀の大きな盆のような「銀陽」が、...
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アスターナ古墳から、私たちはまたマイクロバスで、宿舎の吐魯番賓館にもどった。運転手の張さんは、高昌故城へ行ったときから、すでに天候を気にしていたが、アスターナ古墳では、しきりに、「××にならなければよいが……」とつぶやいていた。私にはその「××」が聞きとれなかったが、後(のち)、それが「土雨」であることがわかった。ベゼクリク千仏洞へ行ったとき、上空に見た燻(いぶ)し銀の大きな盆のような「銀陽」が、...