鼓楽「秦王破陣」が、山西省南部の新絳県の農民の間に民俗芸能として残っていた―秦王破陣楽は、秦王李世民が宮廷の楽士や文臣らとともに、当時軍隊で流行していた音楽を基に舞曲としてつくったもの。李世民は唐の太祖、唐代(六一八~九〇七年)初期の明君として知られる。文治派だが、武勲赫(かく)々たる軍人でもあった。詩や書をよくし、音楽や舞踊にも通じた才気煥発な人物。この音楽に合わせて、鎧を着け、矛を手にした武士...
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鼓楽「秦王破陣」が、山西省南部の新絳県の農民の間に民俗芸能として残っていた―秦王破陣楽は、秦王李世民が宮廷の楽士や文臣らとともに、当時軍隊で流行していた音楽を基に舞曲としてつくったもの。李世民は唐の太祖、唐代(六一八~九〇七年)初期の明君として知られる。文治派だが、武勲赫(かく)々たる軍人でもあった。詩や書をよくし、音楽や舞踊にも通じた才気煥発な人物。この音楽に合わせて、鎧を着け、矛を手にした武士...