一九八四年九月、土を掘りおこしていた農民が、固くつきかためられた窯(かま)を発見した。場所は、陝西省·西安市の北、銅川市に近い黄堡鎮。文献によれば、このあたりは有名な耀州(ようしゅう)窯があったところである。農民の知らせで駆けつけた中国古代陶磁研究所の理事、禚(しゃく)振西さんと夫君の杜葆仁氏の調査で、窯跡はまぎれもなく耀州窯であることが判明したのだった。「十里窯場」と言われ、河谷と台地上にズラリ...
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一九八四年九月、土を掘りおこしていた農民が、固くつきかためられた窯(かま)を発見した。場所は、陝西省·西安市の北、銅川市に近い黄堡鎮。文献によれば、このあたりは有名な耀州(ようしゅう)窯があったところである。農民の知らせで駆けつけた中国古代陶磁研究所の理事、禚(しゃく)振西さんと夫君の杜葆仁氏の調査で、窯跡はまぎれもなく耀州窯であることが判明したのだった。「十里窯場」と言われ、河谷と台地上にズラリ...