「石炭の都」として知られる遼寧省の撫順市、その名は、明朝の洪武十七年(一三八四)、撫順の城郭を修築したときにつけられたもので、すでに六百年の歴史がある。明以前の遼、金、元、この三つの王朝はともにこの地に城郭を設け、「貴徳」と呼んでいた。ここを流れる貴端川(現在の渾河)にちなんで名づけたものだ。では、明朝はなぜ「撫順」という名に改めたのであろうか。洪武六年(一三七三)、明の太祖·朱元璋は大臣たちと軍...
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「石炭の都」として知られる遼寧省の撫順市、その名は、明朝の洪武十七年(一三八四)、撫順の城郭を修築したときにつけられたもので、すでに六百年の歴史がある。明以前の遼、金、元、この三つの王朝はともにこの地に城郭を設け、「貴徳」と呼んでいた。ここを流れる貴端川(現在の渾河)にちなんで名づけたものだ。では、明朝はなぜ「撫順」という名に改めたのであろうか。洪武六年(一三七三)、明の太祖·朱元璋は大臣たちと軍...