一九八五年十月中旬、中日友好二十一世紀委員会第二次全体会議が、中国の北京と大連市で開かれた。会議のあいまに、日本側の委員、東京大学元学長向坊隆先生は、今年の六月大連訪問中に作られた漢詩『無題』を私に贈られた。向坊先生は、大連で生まれ、十六歳の時にはじめて日本へ帰られたのである。先生のこの詩は、第一故郷でもある大連に対する懐しい思い出を詠じたものである。私は、十二歳の時、家庭の収入がとだえたため、約...
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一九八五年十月中旬、中日友好二十一世紀委員会第二次全体会議が、中国の北京と大連市で開かれた。会議のあいまに、日本側の委員、東京大学元学長向坊隆先生は、今年の六月大連訪問中に作られた漢詩『無題』を私に贈られた。向坊先生は、大連で生まれ、十六歳の時にはじめて日本へ帰られたのである。先生のこの詩は、第一故郷でもある大連に対する懐しい思い出を詠じたものである。私は、十二歳の時、家庭の収入がとだえたため、約...