武昌(現在の鄂城市)を流れる長江の中ほどに、もともと小島があった。三国時代の呉の国王孫権が、仏像をまつるために、花びらをまくところであったと伝えられている。唐代に至り、裴鶠が島に亭を建て、李陽氷がそれを怡亭と名づけた。裴鶠が銘文「怡亭銘」を書いた。李莒がそれを棣書で写したが、序文は李陽氷の笈書である。これらは島の巨岩に刻まれている。(次ページの写真は、清の書家翁方綱の拓本による)銘文によると、怡亭...
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武昌(現在の鄂城市)を流れる長江の中ほどに、もともと小島があった。三国時代の呉の国王孫権が、仏像をまつるために、花びらをまくところであったと伝えられている。唐代に至り、裴鶠が島に亭を建て、李陽氷がそれを怡亭と名づけた。裴鶠が銘文「怡亭銘」を書いた。李莒がそれを棣書で写したが、序文は李陽氷の笈書である。これらは島の巨岩に刻まれている。(次ページの写真は、清の書家翁方綱の拓本による)銘文によると、怡亭...