一九七五年七月十六日、私の大学時代の恩師、鈴木重歳先生が北京で病没されてから、早くも十年の歳月が流れた。まだはっきりと覚えているが、鈴木先生ご夫妻の歓迎会がおこなわれたのは、一九五六年の春まもないころである。出席者の熱烈な拍手をあびながら、先生はあいさつされた。「自分と妻の児玉綾子は中国に永く暮らし、中国と中国人民に対しては、言葉で言い表わせない程の深い思いを抱いている。この度、最高学府の北京大学...
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一九七五年七月十六日、私の大学時代の恩師、鈴木重歳先生が北京で病没されてから、早くも十年の歳月が流れた。まだはっきりと覚えているが、鈴木先生ご夫妻の歓迎会がおこなわれたのは、一九五六年の春まもないころである。出席者の熱烈な拍手をあびながら、先生はあいさつされた。「自分と妻の児玉綾子は中国に永く暮らし、中国と中国人民に対しては、言葉で言い表わせない程の深い思いを抱いている。この度、最高学府の北京大学...