湖南省洞庭湖畔の岳陽楼は、このほど修理を終わり、近く公開されるが、それにともなって昔のことが人びとの口にのぼるようになった。岳陽楼は三国時代(二二〇~二六五)には、東呉の将軍魯粛の水軍閲兵台であった。唐代に至って改修されて文人墨客の遊覧の地となり、以来、洞庭湖と君山の秀色は数々の詩文を生んだ。中でも有名なのは「岳陽楼記」という散文である。宋代には、滕子京が謫されて巴陵郡の官として岳陽にあったとき、...
Please login first!
湖南省洞庭湖畔の岳陽楼は、このほど修理を終わり、近く公開されるが、それにともなって昔のことが人びとの口にのぼるようになった。岳陽楼は三国時代(二二〇~二六五)には、東呉の将軍魯粛の水軍閲兵台であった。唐代に至って改修されて文人墨客の遊覧の地となり、以来、洞庭湖と君山の秀色は数々の詩文を生んだ。中でも有名なのは「岳陽楼記」という散文である。宋代には、滕子京が謫されて巴陵郡の官として岳陽にあったとき、...