“新”王朝(九~二三)は、前漢と後漢との間に王莽がたてたごく短命の封建王朝である。王个は東平陵(山東省章丘県西)の人。漢の成帝の生母は、王莽のおばにあたる。かれは外戚の身分で大司馬に任ぜられて尚書を担当し、政治的には最高の職権を掌握した。そのうちに平帝を毒殺し、ついで漢の皇帝孺子嬰をも廃して、国号を“新”にあらため、王氏の王朝を樹立した。今月号〈書道鑑賞〉グラフに紹介するのは、王葬が皇帝を名乗って...
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“新”王朝(九~二三)は、前漢と後漢との間に王莽がたてたごく短命の封建王朝である。王个は東平陵(山東省章丘県西)の人。漢の成帝の生母は、王莽のおばにあたる。かれは外戚の身分で大司馬に任ぜられて尚書を担当し、政治的には最高の職権を掌握した。そのうちに平帝を毒殺し、ついで漢の皇帝孺子嬰をも廃して、国号を“新”にあらため、王氏の王朝を樹立した。今月号〈書道鑑賞〉グラフに紹介するのは、王葬が皇帝を名乗って...