清朝(一六四四~一九一一)の避暑宮殿だった北京の頤和園に遊びにゆくとき、まず牌楼の下をくぐって入園する。牌楼は封建社会で、孝子、節婦などを表彰するために建てたものだが、次第に変化して、古典建築群の装飾建築物の一つになった。通りの両端や村落の入り口によく建てられ、古代はそういう所を坊と言っていたので、「牌坊」とも称される。「牌楼」は南宋の時代(一一二七~一二七九)に始まった。当時、漢州というところに...
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清朝(一六四四~一九一一)の避暑宮殿だった北京の頤和園に遊びにゆくとき、まず牌楼の下をくぐって入園する。牌楼は封建社会で、孝子、節婦などを表彰するために建てたものだが、次第に変化して、古典建築群の装飾建築物の一つになった。通りの両端や村落の入り口によく建てられ、古代はそういう所を坊と言っていたので、「牌坊」とも称される。「牌楼」は南宋の時代(一一二七~一二七九)に始まった。当時、漢州というところに...