武漢市の蛇山に遊び、足下を流れる長江を眺めると、誰しも唐代の詩人崔顥の詩「黄鶴楼」を口ずさみ、ここにあった黄鶴楼の焼失を惜しむ。ここに最初に楼閣をつくったのは、三国時代の呉の孫権で、黄武二年、紀元二二三年に建て、その後たびたび破壊と修建をくりかえし、清の光緒十年(一八八四年)に焼失してからは、そのままになっていた。子安仙人が黄色い鶴に乗ってここから飛び去った伝説から、黄鶴楼と名づけられた。唐宋以来...
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武漢市の蛇山に遊び、足下を流れる長江を眺めると、誰しも唐代の詩人崔顥の詩「黄鶴楼」を口ずさみ、ここにあった黄鶴楼の焼失を惜しむ。ここに最初に楼閣をつくったのは、三国時代の呉の孫権で、黄武二年、紀元二二三年に建て、その後たびたび破壊と修建をくりかえし、清の光緒十年(一八八四年)に焼失してからは、そのままになっていた。子安仙人が黄色い鶴に乗ってここから飛び去った伝説から、黄鶴楼と名づけられた。唐宋以来...