一九七六年五月から一九七八年十月まで、中国の激動の時期に、夫と私は勤め先の大学の在外研究員として北京に留学した。当時四歳になったばかりの息子の潤一郎は、私が籍をおいた北京大学の付属幼稚園に通い、やがて学齢期を迎えたので、大学のそばにある付属小学校に入学した。いくつかの必要な単語を覚えただけで、不安そうな顔をして幼稚園に通い始めたころから二年を経っており、いつのまにか中国語で喧嘩もできるようになって...
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一九七六年五月から一九七八年十月まで、中国の激動の時期に、夫と私は勤め先の大学の在外研究員として北京に留学した。当時四歳になったばかりの息子の潤一郎は、私が籍をおいた北京大学の付属幼稚園に通い、やがて学齢期を迎えたので、大学のそばにある付属小学校に入学した。いくつかの必要な単語を覚えただけで、不安そうな顔をして幼稚園に通い始めたころから二年を経っており、いつのまにか中国語で喧嘩もできるようになって...