末期の明王朝は、内外ともに困難が山積みし、その政治も腐敗の極に達していた。こうしたときに、崇禎(すうてい)帝朱由検(一六一一~一六四四)が、崩壊寸前ともいえる明王朝の帝位を継承したのである(崇禎元年は一六二八年)。崇禎帝は帝位に着くとすぐ、魏忠賢とその一味を追放した。悪事のかぎりをつくし、国を滅亡にみちびき、民衆に災いをもたらしてきたこの魏忠賢という男は宙官の頭目で、前号でもふれたが各地に自分の像...
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末期の明王朝は、内外ともに困難が山積みし、その政治も腐敗の極に達していた。こうしたときに、崇禎(すうてい)帝朱由検(一六一一~一六四四)が、崩壊寸前ともいえる明王朝の帝位を継承したのである(崇禎元年は一六二八年)。崇禎帝は帝位に着くとすぐ、魏忠賢とその一味を追放した。悪事のかぎりをつくし、国を滅亡にみちびき、民衆に災いをもたらしてきたこの魏忠賢という男は宙官の頭目で、前号でもふれたが各地に自分の像...