新聞は、中国では悠久の歴史があり、同時に「大報」と「小報」の区分がずっとあった。漢の時代(前二〇六~紀元二二〇)、国都には各地の王侯が「邸」という執務機構を置いていた。邸の主な役割は、皇帝の詔令を各自の国もとに通報することであり、この種の都からの通信を「邸報」といった。唐の玄宗の時代(七一二~七五六)になって、中央の政令の統一を強め、必要以上の消息がもれないようにするため、「邸報」ばとり消され、朝...
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新聞は、中国では悠久の歴史があり、同時に「大報」と「小報」の区分がずっとあった。漢の時代(前二〇六~紀元二二〇)、国都には各地の王侯が「邸」という執務機構を置いていた。邸の主な役割は、皇帝の詔令を各自の国もとに通報することであり、この種の都からの通信を「邸報」といった。唐の玄宗の時代(七一二~七五六)になって、中央の政令の統一を強め、必要以上の消息がもれないようにするため、「邸報」ばとり消され、朝...