前号でふれた「靖康の変」による北宋の滅亡のあとも、中国の大地では南北朝併存という局面がつづいた。はじめは、金と南宋とが対峙したが、そのご蒙古が勃興して西夏を滅ぼし、また南宋と連合して金をも滅ぼした。そのあと、蒙古と南宋とのあいだにも争いがおき、蒙古軍は南宋最後の皇帝趙昺(ちようへい)を中国南部広東の海上に追いこみ水死させて、南宋の歴史にピリオドをうつ。こうして、南宋の時期にはおよそ百五十年にわたっ...
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前号でふれた「靖康の変」による北宋の滅亡のあとも、中国の大地では南北朝併存という局面がつづいた。はじめは、金と南宋とが対峙したが、そのご蒙古が勃興して西夏を滅ぼし、また南宋と連合して金をも滅ぼした。そのあと、蒙古と南宋とのあいだにも争いがおき、蒙古軍は南宋最後の皇帝趙昺(ちようへい)を中国南部広東の海上に追いこみ水死させて、南宋の歴史にピリオドをうつ。こうして、南宋の時期にはおよそ百五十年にわたっ...