宋王朝(九六〇~一二七九)の三百余年、中国の広大な版図では南北朝の対峙する局面がつづく。宋王朝は、中原(当時の中国中央部)と江南(長江下流一帯)をその支配下においたが、北方においては遼(九一六~一一二五)が蒙古草原、東北地方、華北平原の一部を支配し、宋と遼とが中国大陸の南と北にそれぞれ政権をかまえていたのである。そのご、西北地方、東北地方で、夏(一〇三八~一二二七)、金(一一一五~一二三四)があい...
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宋王朝(九六〇~一二七九)の三百余年、中国の広大な版図では南北朝の対峙する局面がつづく。宋王朝は、中原(当時の中国中央部)と江南(長江下流一帯)をその支配下においたが、北方においては遼(九一六~一一二五)が蒙古草原、東北地方、華北平原の一部を支配し、宋と遼とが中国大陸の南と北にそれぞれ政権をかまえていたのである。そのご、西北地方、東北地方で、夏(一〇三八~一二二七)、金(一一一五~一二三四)があい...