北涼は、五胡十六国時代(三〇四~四三九)の三九七年に、匈奴の且渠蒙遜が甘粛省西部に建てた国である。且渠安周は、且渠蒙遜の第十子である。蒙遜の死後、その長男茂虔があとをついだが、四三九年に北魏に亡ぼされた。安周は、北魏と対抗するために、北は柔然に、南は劉宋にたより、その臣とみずから称していた。劉宋は安周を「使持節、散騎常侍として、涼·河·沙三州の諸軍事を督す西域の戊己校尉、涼州刺史、河西王」に封じて...
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北涼は、五胡十六国時代(三〇四~四三九)の三九七年に、匈奴の且渠蒙遜が甘粛省西部に建てた国である。且渠安周は、且渠蒙遜の第十子である。蒙遜の死後、その長男茂虔があとをついだが、四三九年に北魏に亡ぼされた。安周は、北魏と対抗するために、北は柔然に、南は劉宋にたより、その臣とみずから称していた。劉宋は安周を「使持節、散騎常侍として、涼·河·沙三州の諸軍事を督す西域の戊己校尉、涼州刺史、河西王」に封じて...