後漢(紀元二五~二二〇年)の皇帝劉秀(光武帝)は、毎日朝早くから廟堂に出て、政務の報告を聞き、臣下たちと国家の大事を議し、太陽が西に傾くころまでそれを続けに。夜は夜で、学者たちを集めて学問にはげみ、深夜に及んでようやく寝についた。その子が父の労苦を見かねて、これではからだによくないので、何か楽しみをみつけるとか、風景の美しいところへ遊びにいくようすすめた。すると劉秀はこう答えた。「われ自からこれを...
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後漢(紀元二五~二二〇年)の皇帝劉秀(光武帝)は、毎日朝早くから廟堂に出て、政務の報告を聞き、臣下たちと国家の大事を議し、太陽が西に傾くころまでそれを続けに。夜は夜で、学者たちを集めて学問にはげみ、深夜に及んでようやく寝についた。その子が父の労苦を見かねて、これではからだによくないので、何か楽しみをみつけるとか、風景の美しいところへ遊びにいくようすすめた。すると劉秀はこう答えた。「われ自からこれを...