康熙、乾隆以後の清では金石考証学がたいへん盛んになる。そして碑学が大いに興るが、それにともなって書風も大きく変化した。碑学を提唱する人たちは、晋の王羲之の書風も歴代の世襲を経てすでにあるべき本来の姿をうしない、偽りが多く、筆法柔軟であると言い、だからこそ碑学を提唱するのだと言う。楷書と行書は篆隷の八分書(篆書と隷書との中間的な書体。隷の二分、篆の八分を取るの意)から出ている。本を追い、源をたずね、...
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康熙、乾隆以後の清では金石考証学がたいへん盛んになる。そして碑学が大いに興るが、それにともなって書風も大きく変化した。碑学を提唱する人たちは、晋の王羲之の書風も歴代の世襲を経てすでにあるべき本来の姿をうしない、偽りが多く、筆法柔軟であると言い、だからこそ碑学を提唱するのだと言う。楷書と行書は篆隷の八分書(篆書と隷書との中間的な書体。隷の二分、篆の八分を取るの意)から出ている。本を追い、源をたずね、...