夏の取り入れの頃、北京をたち大寨に赴いた。ただ、いつもの取材とは違い、なんともいえない複雑な気持ちだった。一九六四年に「農業は大寨に学ぼう!」というスローガンが出されて十余年このかた、何回となく全国の農村を回り、大寨に学んで成果を収めた多くの人民公社や生産大隊を紹介してきた。それらのなかには砂漠の侵食に打ち勝ち、美しく豊かなオアシスを造りあげたものや、アルカリ性の不毛の地を改良して食糧·綿花の里と...
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夏の取り入れの頃、北京をたち大寨に赴いた。ただ、いつもの取材とは違い、なんともいえない複雑な気持ちだった。一九六四年に「農業は大寨に学ぼう!」というスローガンが出されて十余年このかた、何回となく全国の農村を回り、大寨に学んで成果を収めた多くの人民公社や生産大隊を紹介してきた。それらのなかには砂漠の侵食に打ち勝ち、美しく豊かなオアシスを造りあげたものや、アルカリ性の不毛の地を改良して食糧·綿花の里と...