広州はむかしから、海にむかってひらかれた中国の南の窓でした。この地には五人の仙人が羊にのってやって来たという伝説があり、そのため五羊城という別称があります。これも伝説ですが、春秋末期、呉と越とが長いあいだ戦い、越王勾践がついに呉をほろぼしたとき、呉の王族が逃がれて、いまの広州に「南武城」を築いたともいわれています。ところが、戦国時代になって、越も楚のためにほろぼされ、越王の子孫がこの地に亡命して、...
Please login first!
広州はむかしから、海にむかってひらかれた中国の南の窓でした。この地には五人の仙人が羊にのってやって来たという伝説があり、そのため五羊城という別称があります。これも伝説ですが、春秋末期、呉と越とが長いあいだ戦い、越王勾践がついに呉をほろぼしたとき、呉の王族が逃がれて、いまの広州に「南武城」を築いたともいわれています。ところが、戦国時代になって、越も楚のためにほろぼされ、越王の子孫がこの地に亡命して、...