「人民のために害を取り除き、福をもたらそう」一九四九年、中央人民政府が成立して二カ月たらずの十一月、周総理は解放区水利合同会議の代表と親しく会見した。残敵を追って解放戦争はなおつづいており、新中国は草創のさなかにあったときである。この会見にさいし、総理は「禹(う)(夏(か)の始祖)は治水に精魂を打ち込み、わが家の前を三たび通りかかったが、ついぞ入って休もうともしなかった」という伝説を引用し、人民の...
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「人民のために害を取り除き、福をもたらそう」一九四九年、中央人民政府が成立して二カ月たらずの十一月、周総理は解放区水利合同会議の代表と親しく会見した。残敵を追って解放戦争はなおつづいており、新中国は草創のさなかにあったときである。この会見にさいし、総理は「禹(う)(夏(か)の始祖)は治水に精魂を打ち込み、わが家の前を三たび通りかかったが、ついぞ入って休もうともしなかった」という伝説を引用し、人民の...