隋代以後、天山山脈の北側には中央アジアへ通じる通商路があったと史書に記録されている。そのルートは、おおむね、哈密地区で天山山脈を越え、巴里坤(バルコル)、木壘(モリ)、奇台、吉木薩爾(ジムサハ)を経て、イリ河沿いに西へ向かっていた。本世紀の初頭に至るまで、このルートはやはり新疆と中原を結ぶ重要な通商路であった。中原の商人は、一年に一回この通路をゆききした。その荷物を運ぶのはラクダだったので、土地の...
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隋代以後、天山山脈の北側には中央アジアへ通じる通商路があったと史書に記録されている。そのルートは、おおむね、哈密地区で天山山脈を越え、巴里坤(バルコル)、木壘(モリ)、奇台、吉木薩爾(ジムサハ)を経て、イリ河沿いに西へ向かっていた。本世紀の初頭に至るまで、このルートはやはり新疆と中原を結ぶ重要な通商路であった。中原の商人は、一年に一回この通路をゆききした。その荷物を運ぶのはラクダだったので、土地の...