唐代の古路唐代には、西域の玄関口伊州(ハミ)から天山の北の政治的、軍事的中心北庭(吉木薩爾(ジムサル))に至り、更に西のイリ河を経て砕葉(すいよう)(唐代の詩人李白の出生地、現在のソ連イシク湖湖畔)に達する大道があった。この東西に通じるルートを往来する使臣や隊商の安全を確保するため、沿道のところどころに「守捉(しゆそく)」が置かれた。「守捉」は軍事拠点の意味で、「羅護守捉」「黒水守捉」その他がある...
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唐代の古路唐代には、西域の玄関口伊州(ハミ)から天山の北の政治的、軍事的中心北庭(吉木薩爾(ジムサル))に至り、更に西のイリ河を経て砕葉(すいよう)(唐代の詩人李白の出生地、現在のソ連イシク湖湖畔)に達する大道があった。この東西に通じるルートを往来する使臣や隊商の安全を確保するため、沿道のところどころに「守捉(しゆそく)」が置かれた。「守捉」は軍事拠点の意味で、「羅護守捉」「黒水守捉」その他がある...