玄奘の苦難唐の高僧玄奘(げんじよう)(三蔵法師)が西方へ旅をしたさい、玉門関をはなれて西域に踏みこみ、最初にたどりついた宿駅が、伊吾(イウ)すなわち今日の哈密(ハミ)であった。玉門関を後にして西北コースに沿っていくと、五〇キロおきに烽火台が五つ立っている。五つ目の烽火台を過ぎるともう莫賀延砂漠であって、空には鳥のかげもなく、地にはけものの姿もなく、水もなければ草もない。昼間は強風が吹きあれて、雨の...
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玄奘の苦難唐の高僧玄奘(げんじよう)(三蔵法師)が西方へ旅をしたさい、玉門関をはなれて西域に踏みこみ、最初にたどりついた宿駅が、伊吾(イウ)すなわち今日の哈密(ハミ)であった。玉門関を後にして西北コースに沿っていくと、五〇キロおきに烽火台が五つ立っている。五つ目の烽火台を過ぎるともう莫賀延砂漠であって、空には鳥のかげもなく、地にはけものの姿もなく、水もなければ草もない。昼間は強風が吹きあれて、雨の...