隋、唐(五九八~九〇七年)のころは、中日両国の交流が最初の高まりを迎えた時代である。この高まりに先だち、両国人民の友好往来が発展するなかで、政府間には使節の往来があった。『後漢書』の記載によれば、五七年、倭奴国王は使節を漢朝に遣わし、漢の光武帝·劉秀は「漢倭奴国王」の金印を贈っている。二三八年になると、卑彌呼女王は曹魏に使節を派遣してきた。魏の明帝は卑彌呼女王に「親魏倭王」の称号と金印を贈っている...
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隋、唐(五九八~九〇七年)のころは、中日両国の交流が最初の高まりを迎えた時代である。この高まりに先だち、両国人民の友好往来が発展するなかで、政府間には使節の往来があった。『後漢書』の記載によれば、五七年、倭奴国王は使節を漢朝に遣わし、漢の光武帝·劉秀は「漢倭奴国王」の金印を贈っている。二三八年になると、卑彌呼女王は曹魏に使節を派遣してきた。魏の明帝は卑彌呼女王に「親魏倭王」の称号と金印を贈っている...