中国の唐代(六一八年~九〇七年)は、日本の奈良時代にあたり、中日両国の古代文化が栄え、その交流がひんぱんにおこなわれた時代である。そのころ、両国文化の発展のために、中日両国の先輩たちはきわめて大きな努力をはらった。中国の揚州にある大明寺の鑑真和上は、その一人である。鑑真は、唐に骨を埋めた日本の学者·阿倍仲麻呂と並んで、中日文化交流史上の「双壁(そうへき)」といわれている。六度目に渡海に成功鑑真和上...
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中国の唐代(六一八年~九〇七年)は、日本の奈良時代にあたり、中日両国の古代文化が栄え、その交流がひんぱんにおこなわれた時代である。そのころ、両国文化の発展のために、中日両国の先輩たちはきわめて大きな努力をはらった。中国の揚州にある大明寺の鑑真和上は、その一人である。鑑真は、唐に骨を埋めた日本の学者·阿倍仲麻呂と並んで、中日文化交流史上の「双壁(そうへき)」といわれている。六度目に渡海に成功鑑真和上...