一九六七年八月にわたしは吉林(チーリン)省図們(トウメン)市延辺(イエンピエン)漢語師範学校を卒業した。卒業まぎわに、姉から手紙で、学校の指導部に家庭の実情を話し、延吉(イエンチイ)市内で仕事につけてもらうようにしなさいといってきた。わたしの考えも姉と同じだった。母は五十の坂をこして、からだもあまり丈夫ではない。それに、わたしをとても可愛がっていたし、わたしとしてもそばを離れるにしのびなかった。け...
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一九六七年八月にわたしは吉林(チーリン)省図們(トウメン)市延辺(イエンピエン)漢語師範学校を卒業した。卒業まぎわに、姉から手紙で、学校の指導部に家庭の実情を話し、延吉(イエンチイ)市内で仕事につけてもらうようにしなさいといってきた。わたしの考えも姉と同じだった。母は五十の坂をこして、からだもあまり丈夫ではない。それに、わたしをとても可愛がっていたし、わたしとしてもそばを離れるにしのびなかった。け...