『左伝』に出ていることばである。春秋時代に、晋と楚とが邲(ビイ)というところで一戦をまじえ、晋が大敗をなめたことがあった。晋の将軍荀林(シユンリンフー)父は、責任をとって死をたまわりたいと申し出た。晋の景公もそれを許すつもーりでいたが、士貞子(シーチエンツ)が景公をいさめた。「むかし、城濮(チエンプー)の戦いで晋の軍隊は楚軍に大勝しました。その時、人びとは大喜びをしましたが、晋の文公だけはそれをし...
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『左伝』に出ていることばである。春秋時代に、晋と楚とが邲(ビイ)というところで一戦をまじえ、晋が大敗をなめたことがあった。晋の将軍荀林(シユンリンフー)父は、責任をとって死をたまわりたいと申し出た。晋の景公もそれを許すつもーりでいたが、士貞子(シーチエンツ)が景公をいさめた。「むかし、城濮(チエンプー)の戦いで晋の軍隊は楚軍に大勝しました。その時、人びとは大喜びをしましたが、晋の文公だけはそれをし...