唐代(六一八~九〇七年)の詩人のなかに、朝衡(チヤオホン)という日本人がいた。本名を阿倍仲麻呂といい、朝衡は中国名である。ときは盛唐、高度に繁栄した封建文化にあこがれて中国に渡り、学問をおさめてのち役人となって唐の朝廷につかえ、都長安(チヤンアン)の文人たちともひろく交わりをむすんだが、在唐五十四年にして世を去った。仲麻呂は詩をよくし、交遊のあった王維(ワンウエイ)や、李白(リーパイ)、儲光羲(チ...
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唐代(六一八~九〇七年)の詩人のなかに、朝衡(チヤオホン)という日本人がいた。本名を阿倍仲麻呂といい、朝衡は中国名である。ときは盛唐、高度に繁栄した封建文化にあこがれて中国に渡り、学問をおさめてのち役人となって唐の朝廷につかえ、都長安(チヤンアン)の文人たちともひろく交わりをむすんだが、在唐五十四年にして世を去った。仲麻呂は詩をよくし、交遊のあった王維(ワンウエイ)や、李白(リーパイ)、儲光羲(チ...