私が中国の土をふんだのは、きびしく言えばこんどが二回目である。最初は一九二六年の秋で、フランスへ渡航の途上で船が上海にたち寄つたのをさいわい、二日にわたつて上海の街をみて歩いた。当時北伐軍はすでに揚子江に迫つていたが、上海はまだ軍閥孫伝芳の支配下にあつて、窮乏した民衆やあぶれた苦力たちが、波止場や街路にあふれているのに、金持ちや、とりわけ外国人たちが街頭を傲然と歩きまわつているのが目についた。この...
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私が中国の土をふんだのは、きびしく言えばこんどが二回目である。最初は一九二六年の秋で、フランスへ渡航の途上で船が上海にたち寄つたのをさいわい、二日にわたつて上海の街をみて歩いた。当時北伐軍はすでに揚子江に迫つていたが、上海はまだ軍閥孫伝芳の支配下にあつて、窮乏した民衆やあぶれた苦力たちが、波止場や街路にあふれているのに、金持ちや、とりわけ外国人たちが街頭を傲然と歩きまわつているのが目についた。この...