中国における鉄道建設の黎明期のことを想うと、誰しもすぐ腦裏にうかんでくるのは、すぐれた鉄道技師詹天佑(ツアンテンユウ)(一八六一―一九一九年)のことである。いまからちようど五十年まえに、中国では、中国人自身の手でつくつた北京(ペイチン)·張家口(チヤンチヤコウ)間の鉄道が開通したが、この全長約二〇〇キロの鉄道は、万里の長城をくぐり、けわしい山々を越えねばならないので、なかなかの難工事だつた。当時中...
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中国における鉄道建設の黎明期のことを想うと、誰しもすぐ腦裏にうかんでくるのは、すぐれた鉄道技師詹天佑(ツアンテンユウ)(一八六一―一九一九年)のことである。いまからちようど五十年まえに、中国では、中国人自身の手でつくつた北京(ペイチン)·張家口(チヤンチヤコウ)間の鉄道が開通したが、この全長約二〇〇キロの鉄道は、万里の長城をくぐり、けわしい山々を越えねばならないので、なかなかの難工事だつた。当時中...