一去年の秋の暮れのある朝、私は秦嶺[注释1]の麓の自動車道路の道端に立つていた。重要な会議に出席するために秦嶺の南の工事現場までゆかねばならぬのだが、ついでの車があればそれに乘つて行こうと思つていたのである。ところが、來る車來る車みな工事の材料を満載していて、とうてい人一人乘る余地もない。私は氣が氣でなくなつた。道程は二、三〇キロもあろうというのに、時計を見ると、もう会議の時間まで僅かしかない。こ...
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一去年の秋の暮れのある朝、私は秦嶺[注释1]の麓の自動車道路の道端に立つていた。重要な会議に出席するために秦嶺の南の工事現場までゆかねばならぬのだが、ついでの車があればそれに乘つて行こうと思つていたのである。ところが、來る車來る車みな工事の材料を満載していて、とうてい人一人乘る余地もない。私は氣が氣でなくなつた。道程は二、三〇キロもあろうというのに、時計を見ると、もう会議の時間まで僅かしかない。こ...