わたしはもとは貧農でした。解放まえは十四人家族で祖先傳來の痩地が四反七畝しかなかつたので、十四のときから地主の家に作男に雇われてゆきました。しかし、家ぢゆうの者が一年間汗水たらして働いても、やつと麻袋に何ばいか穀物を稼ぐのが關の山でした。これでは半年ぐらいしか食えず、家ぢゆうのものが空つ腹をかかえ泣きながら大晦日をすごしたことさえありました。だからといつて、みんな気をおとしたりなんかしませんでした...
Please login first!
わたしはもとは貧農でした。解放まえは十四人家族で祖先傳來の痩地が四反七畝しかなかつたので、十四のときから地主の家に作男に雇われてゆきました。しかし、家ぢゆうの者が一年間汗水たらして働いても、やつと麻袋に何ばいか穀物を稼ぐのが關の山でした。これでは半年ぐらいしか食えず、家ぢゆうのものが空つ腹をかかえ泣きながら大晦日をすごしたことさえありました。だからといつて、みんな気をおとしたりなんかしませんでした...