一九五三年十二月のある日、西安から宝鶏へゆく汽車のなかでわたしは呂芳庭さんと知りあいになった。この人は陜西省鄂県の太白にある集団農場の責任者だつた。この集団農場の責任者はわたしにつぎのように話しかけた。『わしのとこの今年の取入れ高は一戶当り平均して五千五百キロあまりもあつたですかな。どんどん機械をつかつているソ同盟のコルホーズにくらべりやまだまだですがね……わしらはまだおもに畜力でやつてますからな...
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一九五三年十二月のある日、西安から宝鶏へゆく汽車のなかでわたしは呂芳庭さんと知りあいになった。この人は陜西省鄂県の太白にある集団農場の責任者だつた。この集団農場の責任者はわたしにつぎのように話しかけた。『わしのとこの今年の取入れ高は一戶当り平均して五千五百キロあまりもあつたですかな。どんどん機械をつかつているソ同盟のコルホーズにくらべりやまだまだですがね……わしらはまだおもに畜力でやつてますからな...